高根英哉
Webコラム 更新日:2005年5月17日

はじめに
本気と書いて“マジ”
無責任な責任の取り方
真実は思いのまま?
正義は我にあり?

正義は我にあり?

久しぶりのコラムになってしまった。

アジア、とりわけ日本という国は、コミュニティーを重んじていた国だと思う。
お互いに生きていくために必要な最低限のルールは作るが、
なんでもかんでもルールで固めるようなことはしなかった。
ゆえに私は、法律を厳守するということは、最低限のルールであって、
それ以上はお互いの良識を重んじるものだと理解している。
一方、アメリカという国はその辺の感覚が少し異なるのだろう。
こと細かくルール化し、ルールさえ守っていれば、善良な市民と称される。
夫婦のセックスの回数から家事の分担にいたるまで、
法によって裁かれ、勝ったほうが正義となる。
日本においては法律は必要条件、
アメリカにおいては十分条件というところだろうか?

私はこの日本の良識を重んじる文化のほうが好きだ。
しかし、最近は日本も法に照らし合わせて正義を主張するシーンが目立つ。
諫早干拓問題で福岡高等裁判所が出した結論は『疑わしきは罰せず』。
潮流変化と堤防の因果関係が科学的に立証できなかったため、
工事を停止させる根拠に乏しいということで国側の勝訴で終わった。
それを受けて、長崎県と国はさっそく工事の再開と
自分達の正義を主張しはじめた。
また、最近テレビで
「裁判所がどちらに正義があるか結論をだしてくれるでしょ」とか
「法にそって行動しているのだから、なんの問題もない」など
という言葉をよく耳にする。

本当に日本ってこれでいいのだろうか?
あと10年もすれば歯医者なみに弁護士を利用するようになるという。
そんな国でいいのだろうかと疑問に思う。